いじめについて

ジョージ・クルーニー監督の
「グットナイト&グットラック」という映画を観ました
そして深い感銘を受けました

報道番組のキャスターとプロデューサーが
当時アメリカを包んでいた
マッカーシーイズムと戦う映画で
アメリカは時に大きな悪がある代わりに
正義のために戦う人達が
いることを分からせてくれる映画でした

それに比べて我が国のテレビはなんでしょう
今社会問題になっているのは
いじめです
そのいじめを肯定するような番組がいかに多いことか

吉本の芸人が後輩の芸人をいじめて
それを見てみんなでよってたかって笑っている
そんな番組を観た中学生はそれが
悪いことではないと錯覚してしまい
翌日学校でいじめをくり返す

そんな番組を観ているせいか
実際のいじめを目撃している生徒達も
それが悪いことという感覚が完全に麻痺し
いつの間にか
いじめは笑えるという空気感が
クラスの中に漂っている

いじめには色々な問題があるでしょう
ただ言えることは
そういう芸もない芸人たちが
後輩芸人をいじめておもしろがっていることが
視聴者の感覚をむしばんでいっていることは確かなことです

これは番組の制作者が安易な番組を作るという
陳腐な発想から生まれてきたのもです
そう視聴率を取ればいいんだろうという発想です

テレビが中学生に与える影響は
世界の全てといっても過言ではないでしょう
その自分の全世界の中で
いじめをみんなで笑っているのですから
それはいじめを肯定しているようなものです

 

 

 

 

 

 
君は幸せになるために生まれてきた

それでも
君は
最期には
幸せになる人だから

だって
君は
幸せになるために
生まれてきたんだから

だって
あなたは
幸せになるために
生まれてきたんだから

僕らは
一人残らず
みんな
みんな
幸せになるために
この星に
生まれてきたんだから

それでも
現実は残酷で
でも
幸せになることだけは
あきらめたくなくて
そんならせん階段を
ぐるぐる
ぐるぐる
回っていて・・・・・

僕らは
幸せになるために
生まれてきた

僕らは
幸せになるために
生まれてきた

そのことだけを
考えて
次の一歩を
踏み出したい

 

 

 

 

 
希望の君へ

人類の長い歴史を知らなくても
君が生まれた年に
どんな出来事があったのか
知っていますか

人類史上二つ目の大きな戦争が
終わった年に生まれた命
人類が初めて月面に降り立った年に
生まれた命
日本に初めてオリンピックが
やってきた年に生まれた命
東南アジアの小国の戦争が
終わった年に生まれた命
アメリカの9月に起こった
世界の価値観を変えるような
事件の年に生まれた命
そして砂漠に囲まれた国での
戦争のまっただ中に生まれた命

その年に生まれた君は
そのことに対する
一つの希望として
生まれてきたのです

ぼくらは
この星に生きて
みんな
一人一人の生命が
例外なく
希望として生まれてきて

みんな
希望の子だから
この希望のたいまつは
消えることなく
つながっていく

それが
ぼくらの
持っている
消えることない
希望だから
永遠に
灯りつづける
理想だから

どんなに
現実と理想の間に
ギャップがあったとしても
このたいまつだけは
放すわけにはいかない

 

 

 

 

 

 
輝かせたい

第二の人生を楽しむとか
第二の人生のためにとか
そういう言葉を
目にすることがある
そんな時
ふと思ったりする

じゃぁ
第一の人生はなんなんだ
第二の人生のための犠牲なのか
そんな思いで
自分の人生を
生きているのか

今この時間を
後からやってくる
時間のために
過ごすなんて

まるでデザートを
食べるために
メインディッシュを
嫌々食べている
ようなもんじゃないか

未来がそう簡単に
人間の思い通りになってたまるか
今この時間を大切に
生きられない人間が
後からの人生を
大切に生きられるか
自分を愛せない人間が
他人を愛することができるか

せっかく授かった
この時
この生を
愛おしく
輝かせたい

自分らしく
輝かせたい

 

 

 

 

 

 

 
いざプライドの地へ

打者が嫌がるコースに
変化球を多用するという
後ろ向きの発想なんかではなく

自分がこの球は
誰にも負けないと思う一球で
真っ向勝負することを

一番の誇りとし
何よりも大切にし
そのことに
自分の存在の
全てを捧げる
ベースボール発祥の聖地へ
今日一人の戦士が
旅立っていった

夢や
期待や
勇気と友に
真っ直ぐに
海の向こうだけを
見ていた

プライドと
プライドの戦い
その戦いを
遙か遠き
幼き昔から
心待ちしていたかのように
戦士は軽く
微笑んでいた

そう
あの夏
甲子園で18回を
投げきった後の
微笑みのように

 

 

 

 

 

 
一滴の自分

たとえば
等身大の自分の人型に
一滴
一滴
水を溜めていくことは
そんなに
大変なことでは
ないと思います

でもこれが
プールのような
大きな容器に
水を溜めていかなければならないと
人間はその過程のどこかで
きっと
無理をしてしまうのでしょう

生きるということを
求道することは
量的な価値観ではなく
質的な向上のような
気がします

あなたの
容器は
どのくらいですか

少しずつ
少しずつ
溜めていきたい
自分の一滴を

一気には
溜めることができない
自分の一滴を

一杯しか
溜めることができない
この道で・・・・

 

 

 

 

 

 
君だもんね

色々と
考えることはあっても
それでも
最後は

自分の素直な
そのまんまの
裸のまんまの
素顔なままの
裸足のままの
むくな想いだけで
いいんじゃないかなぁ

そっちの方が
健康だし
気持ちいいし
スッキリするじゃん

ほら
その笑顔が
君だよ

誰でもない
かけがえのない
君だよ

この世界で
輝いている
たった独りの
君だよ