1・31 ルディ・ジュリアーニ

ジュリアーニは
棺桶に片足を突っ込む瞬間に
自分の人生を振り返って
こう思うだろう

「あぁ なんて
 俺は愚かだったんだろう・・・・
 全米の世論調査で
 大統領としてふさわしい1位
 資金力でも1位
 知名度でも1位だったのに
 ライバル達が氷点下の
 アイオワとニユーハンプシャーで
 遊説して戦っているのに
 なぜ俺はぬくぬくと
 フロリダなんかにいたのかぁ・・・・
 あぁ 悔やんでも
 悔やみきれない・・・・。」

そんな思いが脳裏をよぎることだろう
映画【ボラット】の中で
サシャ・バロン・コーエンは
女性の脳みそは
リス並にしかないと言っていたが
ジュリアーニの
脳みそはリス以下だろう

なぜリス以下かというと
人間の考える浅はかな知恵なんて
高が知れているということだ

序盤のアイオワとニユーハンプシャーを
完無視してフロリダで
大逆転しようという
皮算用だったのだが
完全に候補者達の討論の外に追いやられ
有権者達からもそっぽを向かれ
その後はお決まりの
撤退宣言というパターン

勝つか
負けるかなんて
誰も分からないのに
リス以下の脳みそで考えた
消極的な浅知恵は
一生後悔するだろう

男なら
消極的に逃げるより
勇敢に戦って
死を選べ

どんな時だって
結果より
自分の魂の中にある
やりきったチューブを出し切れば
さっぱりするものよ

選挙演説でも結局彼には
9・11しかなかった
新しい候補者は
これから自分が掲げる
未来を有権者に問うものだが
最初から最後まで
過去のことと
自分のことと
9・11だけ

最後まで
新しい希望も
新しいビジョンもないまま
悲しくフェイドアウトしていった

消極的な男の生き方から得るものは
ジュリアーニの振り見て
我が振り直せしかない

戦うために打席に立ったのなら
見逃しの三振だけは
絶対にしてはいけない

アウトになったっていい
思いっきり
振って
振って
振れまくれ

いつかは
当たる

いつかは
場外ホームランになる

次は
君が
バットを振る番だ

 

 

 

1・30 ヒラリー・クリントン

生き残る2世タレントの条件は
親を利用しないということだ

いくら本人に芸能的な素質や才能があっても
世間の厳しい目は
どうせ親の七光りだろうという
やっかみから入るので
その感情を少しでも
和らげるために
生き残りたければ
絶対に親を利用しないことだ

今回の選挙戦は逆に
昔の名前の旦那が
しゃしゃり出てきてしまっているが
これではヒラリー自身の
政策以外の人間性が
霞むだけである

ビルはまだまだ気力も体力も
充実しているのは分かるが
オバマへの
人種的・政治的な攻撃が日に日に増している
誰の大統領選挙かも
わからない感じに

ビルが表に立てば立つほど
ヒラリーが二次的な存在に見えてくる
ヒラリーがニューハンプシャーで勝った勝因は
涙であったが
その涙は精神的に追い込まれた
彼女の人間らしい面でもあった

アイオワでまさかの逆転負けをした
ヒラリーはビルと選挙参謀の対立に挟まれて
精神的に追い込まれ
世論調査でも最大13ポイントの差をつけられ
小差で敗北した時のスピーチ原稿と
大差で敗北した時のスピーチ原稿の2種類を
スピーチライターに書かせていたほど
追い込まれていた
そんな時、ミニタウン集会で
有権者の一人の女性が
「女性が朝出かける時は、忙しい中大変ですが
 あなたはどのように支度をしているのですか?。」
という予想外の質問にヒラリーは
「この戦いは長く厳しいと・・・・。」と
思わず目を潤ませたのだ

その瞬間こそ
今まで優等生で
冷たいという印象しかなかった
有権者たちが
始めて彼女の人間的な
内面の核の部分に触れた瞬間で
【あぁ〜彼女も女性だったのね】という
その安堵感からの共感の表れが
同姓からの圧倒的な支持として
投票行動へと現われた

それが世論調査が終わった後の
投票日の前日の夜の突発的な出来事だったので
世論調査には現われない
ズレを生んだのである

今でもヒラリーは
好き嫌いがハッキリと分かれている候補者である
だからもっとヒラリーの
人間的な資質を有権者に
分かってもらわなければ
ならないのに

使わない杖のような旦那が
ヒラリーのチャンスを奪っている
ヒラリーはもう十分に
補助輪なしでも
大人の女性として自転車に乗れるのに
補助輪が本体の自転車を
コントロールしようとしている

それはあたかも
バカなブッシュの政権の
チェイニー副大統領のように
選挙で選ばれてもいない人物が
政権に強い影響力を与えるという
悪い印象を与えている

ヒラリー・クリントンという
一人の女性は
外見とは違い
冷淡とか
お高くとまっているという表現は
当てはまらない女性だと感じる

ただ一点言わせてもらうなら
彼女は心の表現力が下手に思える
だから誤解されることが
多々あると思うのだが・・・・

もう少し優しく
大きくなるには
ビルが彼女の手をぎゅっと
握りしめてあげることだ

ヒラリーは今まで
頑張り過ぎた人生だったから
そういう時期が
圧倒的に欠けているように思える

ビルは品のない中傷合戦を
繰り返えすだけの代理戦争なんかやって
大統領であった
自分の名誉を落とすよりか
ヒラリーの手を握ってあげた方が
ヒラリーも前面に出てこられるし
ヒラリーのパワーへと変換できるのに
戦略を致命的なほどに間違えている

戦いは
その時の時代の流れで
勝つことも
負けることもあるだろう

だけれど自分の力が
目一杯詰まっている
歯磨きのチューブを
最後の最後まで出し切ったならば
後悔などは残らず
やりきったという
充実感に包まれる

だがこのままだと
ヒラリーには
不完全燃焼の気持ちだけが
残るだろう・・・・

 

 

 

海岸

楽しくて
まばゆいばかりの
真夏の海岸では
輝いている貝殻が
見えないように

人生でも
心が
最高にうれしいと
叫んだり
光り輝いている時は
実感が沸かない

だけれど
その光を失って始めて
人生の光のありがたみが
わかったりする

そしてまた
苦しい日々の
連続だけど
生きてれば
生きてれば
きっとまた
光り輝いている
貝殻を
見つけることができる
必ずできる

それが
人が生きる
こっち側の
海岸だから

 

 

 

 

1・28 日本人の概念

白鵬は優勝インタビューで
目を潤ましながら
満員御礼の国技館中に響き渡るように
ハッキリと言い切った

「自分は夏巡業から頑張ってきました。
 休んでいた人には、絶対に負けられない。」

横綱はこの言葉を場所前から何度も言い切っていた
そしてその意志を15日間切らすことなく
千秋楽の土俵に上がっていった
決戦の力比べで見事に勝ち
伝家の宝刀左上手投げで
朝青龍を豪快に投げ飛ばしたのである

白鵬が勝った
45秒の一勝により
日本人の民族としての存在の在り方とは何か?・・・・を
深く考えることになった

大相撲とは日本の国技である
その国技の相対する二人の横綱を
仮に光と影に置き換えるなら
白鵬が光で朝青龍が影だろう
あえて朝青龍を影にしたのは
朝青龍の個人的な資質の実体は
そうではないかもしれないが
本人が甘んじてヒール的な行動をとっているので
ヒールと捉えられも仕方がないからである

場所前からある種異様な雰囲気は漂っていた
もしも白鵬が負けたら
大変なことになってしまうと・・・・

そして光と影が激突し
光が勝ったのだ
この大一番だけは
日本人の民族的な存在価値の在り方を示す上で
絶対に負けられない
正に崖っぷちの戦いだった

なぜならそこに
日本人とは何かを示す
心がかかっているからである

分かりやすく言ってしまえば
【勝ちゃぁなんでもいいんだろ】という
意識を持つ人間達のエネルギーの集合体と
【こつこつやって来た人間が絶対に勝つ】という
意識を美徳にする人間達のエネルギーの集合体との
真っ向勝負の戦いが
白鵬と朝青龍の身体を借りた
疑似決戦として繰り広げられたからのである

昔から土俵には神様が居ると尊ばれている
ならば八百万の神々の國で
そのそうな意識の疑似決戦があっても
不思議ではないし
時に神々は民衆に分かりやすく
また意識を浸透しやすくするために
分かりやすい形で
ある種の神懸かり的な現象を起こしたりする

もし仮にここで【勝ちゃぁなんでもいいんだろ】という
人間に勝たせてしまっては
日本は大変なことになってしまう
休んでいたって俺は勝つんだ
だから力だけがものを言うんだ
という論理になってしまって

こつこつやってる人間は結局はバカを見るという
怠慢な意識が体制を覆い
日本という国をつないでいる
人間の心の糸がプツッと切れて
バラバラの意識を持つ人間達が集まるだけの
経済大国の亡国になってしまう

しかし現実はそうはならなかった
ギリギリの所で
こつこつやって来た人間が完全に
うっちゃったのである
勝利したのである
投げ飛ばしたのである
大逆転したのである
それこそが日本人の民族としての本質である

その日本人の本質とは
【道】という概念である

【道】という概念は
こつこつと
地道に歩いてきた人が
いつかはその成果が
必ず報われるという概念で
その概念は
日本人の意識の下の深層心理に流れる
共通の心である

このことを国技の横綱が指針にし
言葉でも名言し
また実際に行動で示した
それこそが相撲道である

日本人はどんなものも
道という概念に合うように
上手いように微調整する才を持った民族である
かつてアメリカかた伝わったベースボールを
球道へと変えていったように

そして
この次は
こつこつやってきた
君の結果が
やっと報われる時である

日本人の概念として・・・・

 

 

 

 

 

ヒースへ・・・

寅さんといえば
渥美清だし
スーパーマンといえば
クリストファー・リーブだし
ジョーカーといえば
ジャック・ニコルソンだと
このプラネットの住人なら
誰もがそう思うだろう

その誰もが
完璧だと思っている
ジャックのジョーカーに
創造的に立ち向かうということは
同等の演技なら負けだし
同等以下の敗北なら
ヒースの役者生命が危うくなるという
相当なリスクを背負った
人生の大一番の戦いだった

「だが俺は
 自分の役者人生や
 人間ヒース・レジャーの
 人生を賭けてでも
 ジャックに
 創造的に挑戦するんだ

 そしてそれ以上に
 ジョーカーという役を
 徹底的に掘り下げて
 俺だけのジョーカーを
 新たに創りだすんだ。」

という尋常じゃない意気込みを
彼は抱いていただろう

「勝ち負けの
 結果なんかの
 問題じゃねぇ
 戦うために
 立ち向かっていく姿勢こそ
 俺の
 魂の神髄なんだ。」

とヒースは少年のような瞳を
ギラギラとさせていただろう

そして
ヒースは
完璧なまでに
戦い抜いた

だから
早過ぎる死とか
なぜ死んだとか
そんな哀れみの言葉なんか
ヒースは一番聴きたくないだろう

「俺はやることはやったんだ
 人生は生きた時間の
 問題なんかじゃねぇ
 俺は俺で
 人生を精一杯
 生き抜いたんだ
 戦い抜いたんだ
 だから
 一切の悔いなど
 無いんだ。」

ヒースは
そう言って
星になって
逝ったのであろう

ロウソクの灯火が
消えかかりそうになる
最後の瞬間に
大きく燃え上がるように

人間の魂が最期に放つ
強烈で妖艶な炎をフィルムに
念写させた
ヒースのジョーカーとは
どんな演技になっているのだろう

それを想像するだけでも
もの凄い焼き付けに
なっているだろうと
身震いがする

しかしそれは当然のことである
ヒースという芸術家の
最期に燃え盛る
大きな生命の炎を
想像を遙かに超える執念で
焼き付けたのだから

ヒースよ
【The Dark Knight】での
君の演技を
全世界のみんなが
心から
楽しみにしているよ

大好きなパパの身に
何があったのか
まだ理解できない
2歳の愛娘
マチルダちゃんが
ママに抱っこされながら
笑っていた

「マチルダよ
 パパは
 お星さまになったけど

 いつまでも
 マチルダを
 見守っているからね・・・・。」

ヒースはそんなふうに
優しく語りかけているだろう
あの人なつっこい笑顔で・・・

ヒースよ
君は
この時点ででも
ジョーカーの戦いを
完膚無きまでに
勝ったんだよ

それだけは
不確かな芸術の世界の中でも
確かなことだよ

 

 

 

 

あめゆじゅとてちてけんじゃ

この街に
久々に雪が降った

夜明け前から
降り始めた雪は
乾いた綿雪で
はずかしそうに
羽毛の毛のように
舞っていた

その
ひとひらの雪が
口の中に
すぅーと入ってきた

ひんやりと冷たい
綿雪は
とっても気持ちよかった・・・・

その時
ふと想ったのが
宮沢賢治の妹の
トシのことであった

なぜだか
想った

トシは病気で寝込んでいて
賢治に
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と
頼んだのである
(あめゆきをとってきてください)という意味である

病気で寝込んでいる身体で味わった
あめゆきは
さぞひんやりと
おいしく感じたことだろう

その後
トシは天国へと旅立って逝く

その時の情景は
賢治が詩(永訣の朝)で語っている

賢治とトシは不思議な関係である
いつもは兄と妹
または創作者とこの世で一番の理解者
そして時々母
時たま恋人

賢治は死の間際まで
(銀河鉄道の夜)に筆を入れ続けた
銀河を旅する
銀河鉄道は死者の列車である
ジョバンニとカンパネルラは
その列車で二人で旅をする

ジョバンニはカンパネルラに語りかける
「ぼくたちは
 どこまでも
 どこまでも
 一緒に行こう。」と

だけど
カンパネルラは
真っ暗な銀河を
ただぼぉっと眺めているだけであった

どこまでも
一緒に行けないことは
カンパネルラが痛いほどわかっていた

気が付くと
カンパネルラは列車から居なくなっていた
ジョバンニが現実にかえってみると
カンパネルラは川で溺れていた

もしかして
賢治にとっての
カンパネルラは
トシで
あったのではないだろうか

トシは
ここからは
独りで
逝きますと
慈悲深い妹が
兄を心から心配しながらも
独りで
暗い銀河に旅立って
逝ったのではないだろうか・・・・

賢治はその時
二十四歳という若さで
逝った妹の無念さを
やり場のない怒りや悲しみとして
激しく感じたことであろう

そしてその時
賢治は自分の魂に
一つの誓いを強く刻んだ
この世界が幸せになるために
自分の身体や魂を捧げると

賢治のやるせない哀しみは
罪深き現実の世界で
希望を実現するために
燃やし続けなければならない
魂を宿命として
背負っていることである

自分のことよりも
いつも兄のことを
心配していた
トシのことである

兄の
その心は
きっとわかっていただろう

賢いトシである
きっと
兄のことは
誰よりも
わかっていただろう

そして兄は妹に
今度は自分のことだけで
苦しまないように
生まれてくるんだよと
語りかけたであろう

銀河の果てに
消えていった
聴こえなくなった
汽笛に
向かって・・・・

(銀河鉄道の夜)は
終生完結していない
それは賢治が意図的に
完結させなかったような気がする

いつまでも
トシと
旅をしていたかったのでは
ないだろうか

「トシ
 ぼくたちは
 どこまでも
 どこまでも
 一緒だよと・・・・。」

           義明

 

 

 

後ろの正面

物事を深く考えようとしていないのか
受け手はこの程度のネタにしか
興味を示さないだろうと
たかをくくっているのか
マスコミは相変わらず

女性初の大統領とか
アフリカ系アメリカ人初の大統領とかの
視点でしか物事を
クローズアップできないでいるが

本質的に一番大切な問題は
誇り高き
ヒラリーやオバマは
性別や人種という二次的なもので
勝ち残ったのではなく

二人の実力や実績や資質や
将来へのビジョンに
基ずくものであることを
見逃してはならない

あたかも取っ付きやすい
象徴的な物事のトラップの裏にこそ
物事の本質が隠れているという
好例である

そういうトラップは
人間の心を支配していて
ヴィンセント・ファン・ゴッホの
芸術家としての視点もそうである

自らの耳を切った行為の狂気性や
悲劇のままこの世を去った悲劇性から
ヴィンセントを
始めに悲劇の芸術家ありきとして捉えると

彼の芸術家としての
計算し尽くされた素晴らしい構図や
完全なるオリジナル性などを
深く理解する前に
インパクトが強い色眼鏡に騙されて
本質が分からないままになってしまう

そうなってしまっては
他人の痛みも感じないし
また感じようとする
想像力も持たない
深い情を持たない
薄っぺらい
人間になってしまう

それこそが
人生の悲劇である

次は
あなたが
後ろの正面を
見つける番です



 

 

題字の墨文字について
少しお話ししましょう

はじめに
縁日の綿飴みたいな
もやもやが
つむじの裏の方に
熱帯低気圧みたいに
発生します

でも
まだ
しばらく放っておきます

やがて熱帯低気圧は
台風のような
大きなエネルギーの塊になっていきます

そうなったら
一番大切なのが
スパークフラグの役割をする
雷です

雷とは動機です
墨文字を書く時は
自分を突き動かす
理屈じゃない
何かが一番大切です

その何かとは
わぁ〜
この人の作品はすげぇと
触発されることです

その瞬間
やったるぜぇと
魂がスパークします

人間が生み出した
思想や考え方には
正解はありませんが
人間が生み出す形には
正解があります

大切なことは
その思想が
心に自然に溶け込んでいく
形を見つけることです

その想いと形を
生涯見つける過程こそが
私の生きる道です

心が
晴れの日も
雨の日も
孤独な道

でも
それは
いやではない

だって
自分で選んだ
道だから・・・・



 

ぷらいおりてぃー

あなたの人生の目的の
ベスト1はなんですか?

唐突にこう訊かれて
直感的に心に浮かんだことが
あなたのベスト1です

人の人生の中では
優先順位があります
それを仕事と呼ぶか
使命と考えるか
生まれてきた意味と捉えるかは
個人の思い入れの差として
その1位のものこそが
あなた自身の核です

そしてその1位のものは
他人にはペラペラとしゃべらないことです
何の思い入れもない
第三者に話したところで
あなたの思い入れとは格段に違うので
意味がないどころか
そのベスト1を掴める
数少ないチャンスの時に
あなたの肚に力が入らないで
手の平の指の間から
すぅ〜と抜け落ちていってしまうのです
執念や強い思い込みは
力になります

そして時に
そのベスト1が
置き去りにされることがあります
例えるならば
よく討論番組に出てくる
若手の政治家がいます
政治家本人の皮算用は
テレビに出演することによって
知名度がアップして
選挙の時に有利に働くと考えるのでしょう

ですがそこがエアポケットです
弁が立てば立つほど
そのエアポケットに陥りやすいのですが
仲間の為に縁の下に入って
汗をかかなければならない
土台作りの大切な時期に
自分だけスポットライトを当たっていたのでは
仲間からの信用は得られません

だからそういう若手は何年経っても
決まって大臣などの役職には就けてません
あれも欲しい
これも欲しいでは
一番厳しい仲間内の信頼は得られません

シッポが胴体を振ってはいけないのです

20年後総理になっている男は
今たっぷりと
汗をかいている男でしょう

タレントがブログの沼に
どっぷりとはまり
エネルギーを吸い取られてしまい
ブラウン官の中ではじけていないのも
ベスト1が置き去りになっている例です

ベストテンの2位以下のものは
ストレスを感じない
ボーダーラインで止めておかないと
ストレスを感じてしまって
ベスト1のパワーを喰ってしまっては
シナジー効果になっていません

本業が入ってくる
心の中の余白を十分に確保するもの
仕事の内なのに
そのエネルギーを
2位以下に必要以上に浪費していると
気が付いたら共倒れになっているのです

プロのお人好しはバカです

ベスト1だけは
しっかりと心の中の
聖地に置いておかないと

限られた自分の人生の
エネルギーと時間が
ステップアップするための
上手な使い方ではなく
身から出た錆を補うための
自転車操業になってしまうのです

 

1・13 三本目

観たかった映画を
一本
二本
劇場まで行かず
DVDになるまで我慢する

そうすると
三本目に
劇場で観た映画は
観る力が格段に違う

毎回
毎回
試写室で映画を観ている
評論家の連中なんかとは
観る力が格段に違う

それでも
大切なものを
三本
四本と
我慢しちゃいけない
観る力が萎えて
どうでもよくなって
いざという時に
魂に力が入らない
人間になってしまう

自分の人生にも関わらず
自分が何をやっていいのかを
真剣に考えようとしても
できない

主体性も
闘争心も
戦う魂も
無くなってしまった
牙を抜かれた
人間になってしまう

ふと
テレビを観ると
尋常じゃない気迫で
国技館館内の空気を
一気に黙らせた
男がいた

話しの途中にも関わらず
解説者の言葉が
出なくなった

朝青龍が
土俵に
上がっていった

三本目の機会だけは
絶対に
逃してなるものかと

大切なものだけは
絶対に
逃してなるものかと

己の魂から
己の全身から
全ての毛穴から

気迫の塊が
炎となって
天に
突き刺さっている

蒼き狼がいた

 

 

 

 

酒井義明どっとこむ

名前を
本名にしました

今の
気分は

Rock 'n' Roll

1・12 ゴールデングローブ賞

安全保障や外交という
世界に対して責任を
負わなければならない立場にある
G8参加の超大国のトップが
自身の健康問題で辞任することは
辞任の理由として
世界からは到底理解させない

政治家は結果責任を負うという
職業上の特殊性があるからこそ
国民から信頼や羨望を得ている
希有な職種である

にも関わらず
安部晋三は短絡的に
全てを放り出してしまった
だから国民から失笑される人間へと
成り下がってしまった

最近これと似たような
物事を短絡的に放り出してしまう出来事が
こともあろうに民主主義の国
米国で起こった

民主主義の定義とは
あなたの意見は
私の意見とは異なるが
あなたの意見は尊重する
これが民主主義の定義である

この精神が根底に脈々と流れているからこそ
活発な議論や新しい発想が生まれて
世界がより良い方向に進化していこうと
切磋琢磨する

金正日のように私と違う意見は
全て政治犯刑務所に送り込んでやるでは
人間の尊厳も
人間の人権も
全て踏みにじられ
人間が人間でない
飯を喰うだけの
ただの生き物になってしまう

そうならない為に
人類は民主主義という定義を創ったのに
米国で唖然と思わせる出来事が起こった

毎年開催されるゴールデングローブ賞
分かりやすく言えば
米国のエンターティメントの世界で
アカデミー賞が正月なら
ゴールデングローブ賞はお盆である
正月もお盆もそれは一つの
文化や習慣や伝統として
国民に深く浸透しているから
時の主催者の勝手な意向で
コロコロと変えてはならない
受け継がれるべき
一つの大切な文化である

その文化が
短絡的に中止に追い込まれたのだ
その理由がまた腑に落ちない
簡単に言えば俳優組合が脚本家組合の
ストライキを支持していて
スターが授賞式に来ないようにと
リクエストしているから
スター達が来ない
スターが来なくちゃ
ショーが成り立たないから
辞めますということである

なんと米国らしからぬ知恵のなさだろう
どんな世界でもそうだが
辞めてしまうことが一番簡単である
しかし辞めてしまっては
そこからは何も生まれない所か
後退してしまうだけである

俳優組合が脚本家組合を支持する気持ちはよく分かる
それならばゴールデングローブ賞という
何十億人という人間が観るショーを
最大限に利用すべきである
受賞した各人がスピーチで訴えてもいい
特別のコーナーを作ってもいい
そうやって世間に地道に訴えかければ
世間の人々の共感と支持を得るだろう
そういう努力や汗をかこうともせず
辞〜めたぁでは子供の遊びである

以前アカデミー賞でこんなことがあった
受賞したマーロンブランド本人は欠席し
あらかじめ予定していた
ネイティプアメリカンの少女を代理人として受賞させた
その彼女が受賞スピーチで予定通り政治的な発言をし
会場から大ブーイングの嵐を受けていたが
それとは根本的に違う次元の問題である

ゴールデングローブ賞で
スターや脚本家が説明すればいいのである
折角のチャンスをみすみす逃している所か
世間から共感を得られない方向へと進んでいる
米国のエンターティメント業界も自粛の方向へと進んでいる
現に「ピープルズ・チョイス賞」などが
自粛の方向に傾いているからだ

人間の心は論理や
理屈なんかでは動かない
目に見えない全体の空気に左右される

ハリウッドは
「赤狩り」という
トラウマを乗り越えたと
思っていたのに

ゴールデングローブ賞の主催者たちは
なんと心が狭い奴らであろう
私も毎年欠かさず賞を観ていたが
アカデミー賞もこの賞も
賞自体の意味合いを大きく超越して
夢を追う全ての人々の
背中を押す役割を担っていたのに

ゴールデングローブ賞の主催者たちは
おごりと傲慢という醜い私欲で
私物化してもいいんだと
勝手に勘違いしているのである

ハリウッドとは
夢の世界である

夢は魅せつづけているから
夢であって

覚めてしまっては
幻想が覚め

醜い現実だけが
露呈するだけである

 


 

 

アイ・アム・レジェンド

以前ある人が
アフガニスタンやイラクから
取材で帰る機内の中で
宮崎駿の映画を観ると
心に染みる・・・・・
とポツリとつぶやいていたが
なんだかわかるような気がする

生き延びた命が
宮崎駿の生きろという
強烈なメッセージと
共鳴し合って
いま自分は生きてんだ
いま自分は生きてんだ
と喜んで
命とメッセージが
抱きしめ合っている気がする

普通映画を観に行って
プロダクション・デザインが
すごいなぁと思うことはあっても
うれしいなぁと想うことはなかった

「アイ・アム・レジェンド」の中で
地球最後の一人になった男の一軒家には
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの
【星月夜】と【糸杉】の2点が飾られていた

映画を観ながら
素直に
あぁうれしいなぁと想った

想像を絶するような孤独の中では
数ある芸術作品の中でも
ゴッホじゃなきゃだめなんだと
ヴィンセントを選んでくれた
デザイナーさんに
あんたは偉いと言いたい
そしてそれを堂々と撮してくれた
監督さんにもあんたは偉いと言いたい

極限の孤独になった時には
生半可な芸術じゃ
同じ境遇の人の魂には届かなくて
完全なる孤独から生まれた
太陽のような
強烈な希望じゃなきゃ
その人間の魂には響かないと
改めて思った

あの2点の作品を
フィイルムに焼き付けてくれただけで
この映画を観てよかったと
劇場を後にしていた・・・・・

 


 

1・10 カンバックキッド

国が違う我々が
オバマが勝つか
ヒラリーが勝つか
ハッカビーが勝つか
マケインが勝つかと
ろくすっぽ政策も分からず
生理的な好き嫌いだけで予想して
一喜一憂しても意味がない所か

表面だけの野次馬的な薄っぺらい心で
誇り高き戦う人間達の勇姿を
斜に構えて見るクセを付けてしまうと
人生で学ぶべき
もっとも重要なポイントを
見逃してしまい

自分でも気が付かない内に
物事を深い次元で考えることができない
浅はかでつまらない人間に
成り下がってしまう

だからこの選挙戦を
マスコミとは違う
もっと違う視点から考えるべきだ

アメリカでは老若男女を問わず
一度トップになった人が
またトップに返り咲くことを
カンバックキッドという

このカンバックキッドの精神こそ
誇り高き大統領候補者達の戦いから
自分の人生の中に取り入れるために
学ばなければならない
最も重要なポイントだ

自分の長い人生を凝縮して
この選挙戦に置き換えてみてもいいだろう
長い人生の中には
身から出た錆的な困難や
想像もしえない困難など
あらゆる困難が待ちかまえているが
どんな困難にも諦めず屈せず
戦い続ける候補者達の姿勢を
謙虚に学ぶことこそ
自分の人生にプラスになる

2007年の秋
ヒラリーは絶好調だった
全米レベルの世論調査では
常にオバマに10ポイント以上の差をつけ
ぶっちぎりでフロントランナーを
意気揚々と突っ走っていた
その頃のニューズウイークの表紙では
ヒラリーの顔と共に
「女性大統領誕生へ」といったタイトルが
でかでかと大きな級数で付けられていた

しかしオバマは決して諦めていなかった
無党派層の若者を掘り起こそうと
綿密な戦略の元
地道なタウンミーティングをくり返しくり返し
「イエス・ウィ・キャン(私たちにはできる)」という
希望のメッセージを送り続けた

そして来る2008年1月3日
全世界に激震が走った

白人が98%のアイオワ州では
オバマは絶対に勝てないと言われていたにも関わらず
1月3日に行なわれたアイオワ州の予備選では
大方の予想を覆してオバマが勝利したのだ
その内訳は
アフリカ系アメリカ人層はもちろんのこと
白人の男性女性からも支持され完全勝利した
中でも突出すべきは
若者を中心とする無党派層を開拓し
ムーブメントを作ったことだ
世界中に新しい希望の風が疾風のように
流れ始めたことを感じさせた瞬間だった
正に歴史が変わった潮目だった

オバマの新しい希望の風は
ケネディーの再来とも表現され
世界中のメディアで取り上げられ
選挙直前のニューハンプシャー州の世論調査でも
多いところでは10ポイント以上の差を付けて
オバマがぶっちぎりで独走し
これで初のアフリカ系アメリカ人の大統領誕生へと
世論の空気も一気にシフトチェンジした

そしてその空気をもろに受けたのか
弱気になったヒラリーが
ニューハンプシャー州予備選前日のタウンミーティングで
思わず涙ぐむという映像が世界中を駆け巡った
これで完全に勝負が決まったと思いきや

1月8日世界中に
二度目の激震が走った

ニューハンプシャー州の予備選では
マスコミの世論調査を完全にひっくり返して
ヒラリーが制したのだ
今度はヒラリーがカンバックキッドになったのだ
これで民主党の選挙戦は長期戦に突入した

一方共和党にもキッドはいた
去年の夏マケインはどん底にあえぎ
選挙参謀を入れ替えるなどしたが
選挙戦撤回かとも囁かれていた

だが彼は決して諦めず
雪の日も吹雪の日もニューハンプシャー州で
100回以上の少数のタウンミーティングを重ね
見事ニューハンプシャー州を制したのだ
マケインが71歳の
カンバックキッドになった瞬間だった

しかしジュリアーニは
何をやってるのか
当時の全米世論調査では1位にも関わらず
戦略的に
がちがちのキリスト教右派のアイオワを見送るのは分かるが
勝てる勝算があったニューハンプシャー州でも
選挙戦を見送っている
これは見送りの三振だ
思いっきり自分のフォームで振って
三振なら納得もいくが
見送りの三振では死ぬまで悔いが残る

台風の目の中にいる候補者達は
来る日も来る日も
ハイプレッシャーにさらされながらも
諦めずに突き進んで行っている
この勇姿から学ぶべきことは多い

そして次に
カンバックキッドになるのは
君の番だ

それは誇り高き
大統領候補者達も
望んでいることだろう