4・27 これこそ民主主義

チベットの人権問題を訴えて
チベットの旗を振るチベットの人達と
共産党の赤い旗を振った中国人達が
隣り合うことができるのも
民主主義だからできることで

【国境なき記者団】が座り込みの抗議を
することができるのも
民主主義だからできることで

テレビではその後
衆院山口2区の補欠選挙の候補者達や
その応援に入った
党の幹部達を撮していたが
これも民主主義だからできることで
全ては民主主義の真の姿で

国民が最低限知る権利や
政党を選ぶ権利など
全ては民主主義だからできることで

その最低限の
人間の権利も
人間の人権も
人間の尊厳も
報道の自由も
思想の自由も
政党を作る権利も
無いまま

小さな灯火だけを
死に物狂いに守っている国の
人間達には呆れるだけである

しかもあの灯火自体は
象徴であって
その象徴するものが
何であるのかも
どんなことであるのかも
深く考えようともせず

ただ
ただ
中国の大人達が
必死になって
小さな灯火を大事に
守ろうとしている姿は
滑稽を通り越して
悲劇である

全ては
民主主義だからこそできる
幸せということを
あの国の人間達は
もうそろそろ
考える時期である

そうでなければ
想像する
苦しみや
楽しみを放棄して
安易にコピーをして
知的財産よりも
目先の金にしか興味がない民族が

国民の数からすれば大国の人民が
極端なナショナリズムに突っ走り
世界中から
異物の目で見られ
不気味がられるだけである

 

 

 

 

4・24 プロのお人好しはバカ

ペンシルベニアの
民主党の予備選が終わり

おい
おい
いつまで
やってんだよ
民主党と
ツッコミを入れたくなるような
ぐだぐださ

8年間
大人になりきってない
大統領に(本人も世間からそう
 見られていることを知りつつ
 それすらも逆手に取っているんだよ
 というような態度を取っているが)
めちゃくちゃにされて

政権交代の絶好の好機で
世論もそれを望んでいるのに
敵は身内じゃねぇっつぅの

米本国のニュースを観ていると
「民主党は候補者が決まれば一致団結する。」と
当り前だのクラッカーなことを
常識ぶった特別代議員が言っているが
そうじゃないっつぅの

8月の民主党の党大会で
やっと民主党の大統領候補者が
決まりましたから
バラク・オバマさん
さぁどうぞ
心おきなく
戦ってくださいと
言おうと思ってんじゃないだろうなぁ

人間が
一世一代の
戦いを仕掛けるためには
力を十分溜める時が必要なんだ

三年寝太郎(日本の童話)だって
3年間ぐっすり寝たから
天災から
村を救えたんだ

バラクが
これから
戦おうとする相手は
政治家としても
人生の経験からも
海千山千のマケインなんだから
1ラウンドか
2ラウンドは
力を蓄える時を
作ってあげなきゃ

このまま
12ラウンド
互いをフルに戦わせて
傷だらけになって
ボロボロになって
遺恨という
嫌な後味だけが残る
判定に持ち込もうとしているんじゃ
ねぇだろうなぁ

ヒラリーは
良くも
悪くも
ヒラリーだから
自分から12ラウンドを
降りるなんてことは
死んでもしないだろう

だったら
誰かが
自分が泥をかぶってでも
調停に乗り出すという
気概を持った
気骨のある
大人の政治家が
でてこなきゃ
さっさと
でてこなきゃ
プロのお人好しはバカだぞ

人間の身体の中には
電気が通っている
だから充電しなきゃいけない
オバマはヒラリーのように
走りながら充電できるタイプの
人間じゃない
彼の高い理念は
今の世には必要な魂なんだが
このままでは
少しずつ漏電していっている

誰も泥をかぶりたがらないで
斜に構えているだけの
民主党のおぼっちゃま達が
戦いには一致団結する
戦い上手な保守派の百戦錬磨のお歴々達に
飲み込まれるようなことがあれば
勝つべき戦いで
負けたのだから
悔いても悔い切れないだろう

そして
君自身の
一番大事な

一世一代の
戦いは
いつだ

じっくり
充電して
じっくり
三年寝太郎になって
戦ってくれ

さぁ
本能寺は
近いぞ

 

 

 

 

4・21 わくわく

みんな
それぞれに
わくわく
するのもがあると思う

俺は
どんな時
わくわく
するかなぁと思ったら

海にいく前日の高揚感や
当日どんどんと
海に近づいていく
胸の鼓動の高まりや
海にいった時の
全身が爆発しそうな
わくわく感は
稚気にあふれた
純真エネルギーの
塊になった
わくわく感で

どうしても
観たかった映画の
先行にいく
わくわく感は
タイトルロールが出た瞬間に
好奇心が頂点にくるように持っていく
心臓が破裂しそうな
わくわく感で

そして
真っ白な紙を
前にした時の
静寂の中の
狂気の
わくわく感がある

なんにもない
真っ白な紙に
自分の文字で
自分の想いを
書くときの
わくわく感だけは
特別なものだ

人類の歴史上からも
銀河系からも
宇宙全体からも
絶対に
誰とも
似ていないものを

なんにもない
まっさらな
無の状態から
想像したいし
生み出したい
その強烈な念だけを
焼き付けたい

その想いの
一点だけで
真っ白な紙に向かう

その
わくわく感の中には
狂気や
存在価値や
生まれてきた意義や
意味なども
混ざり合って
尋常じゃないレベルまで集中して
武者震いして

よぉーし
やったるぞぉという
燃えたぎったエネルギーの
太陽になる

だから
真っ白な紙にはこだわるし
筆にもこだわる

一本
一本の
毛の末端の細部にまで
自分のイメージする感覚が
100%完全に伝わって欲しいから
筆は自分でつくる

そして
作品が完成した後には
脳みそが
ボロボロになりながらも
筆に感謝する

「ありがとう・・・・。」と

真っ白な紙を前にした
わくわく感とは
そんな感覚である

 

 

 

大いなる母なる地球

ピーカンではなく
なんとなく曇っている
日なんかに

どこまでも
どこまでも
まんまるく
地平線が広がっている
海に

迷子の
木の葉のように
長時間
ポツンと
たった独りで
浮かんでいると
目がチカチカしてきて
境界線の境目があいまいになってきて

どこからが
海で
どこからが
天国なのかと
錯覚してくる

そんな時は
なんだか
大きな宇宙に
ポツンと
浮かんでいるような
そんな
気になってくる

そして
こう想う

あぁ
なんと
人間って
ちっぽけなんだろう・・・・

あぁ
なんと
俺って
ちっぽけなんだろう・・・・

そんな状況では
ほとんど裸で
じかに肌で
大いなる
地球の意識と
接するということが
なによりも大切なことで

ちっぽけな人間の
全細胞と
全意識を
畏怖畏敬の念の
大いなる海に
頭を下げて
一つにならせてもらいたいと
素直に想った時にこそ

身体が信じられないほど軽くなり
空を飛ぶように
雲にのるように
どんな大きな波とも
意識レベルで完全に
一つになることができる

大きな雲の上では
あぁ
これが
母なる地球の
大きな意識の
どてっぱらなんだなぁと
懐かしさすら
感じる

その一瞬の
懐かしさは
時空をも超越して
永遠にも感じる・・・・・

きっと
そんな感覚を
一度でも感じた人は
この素晴らしき感覚が
どうしても忘れられないから
何度も
何度も
海に帰っていくんじゃないのかなぁ

そう
大いなる
母なる
地球に
何度でも
何度でも
抱かれるために

素直で
純真な
小さな心は
大いなる母の
大きな
大きな心と

共鳴しあって
喜びあって
遊びあって
笑いあって
コロコロと
ころげあって
うれしい
うれしいって
全細胞が
喜んでいくんじゃないのかなぁ

そんな細胞や
遺伝子や
心や
魂や
意識が
大合唱している
喜びの賛歌が
聴こえてくるようだよ

人は
お母さんから
裸で
生まれてきて

大いなる
母なる
地球に
裸のようになって
帰っていくんじゃないのかなぁ・・・・

              義明

 

 

 

 

4・19 蝉しぐれ

僕らは
いつも
地平線の
その先の
なにかを
見つめていた・・・・

ただ
黙って

大きな波に
大きな夢を
重ね合わせながら
それを
乗り越えようと
必死にもがいていた

いくつもの
大きな
波たちに
もまれながら

それでも
その中から
なにかを
掴もうと
一生懸命に
もがいていた

夏が終わろうとしている頃
海からの
帰り道
疲れ切った身体に

いつだって
心地よく
聴こえたのは
蝉しぐれだった

その音を
聴きながら
僕らが
想うことは
ただ
一つだけだった

明日になったら
僕らは
もう
ここにはいない・・・・

一瞬の
輝きは
永遠には
つづかないと
知ったのも
その場所だった

でも
今は
この幸せを
かみしめていたい

明日からの
辛い
日々のために

 

 

 

 

4・17 クローバーフィールド/HAKAISHA

餃子の旨い店にいくと
餃子をたのむと
先に来由が入った小皿が
目に前に出される

そうすることによって
人間の五感を刺激し
これからやって来る餃子を
脳内に先に
連想させ
期待させ
唾液などの分泌物を出させ
餃子をより一層おいしく
食べてもらうための戦略で
その行為は理にかなっている

そのセオリーからすれば
「クローバーフィールド/HAKAISHA」という
タイトルは全くズレている
というか
このタイトルが
作品自体のパワーをも削いでいる

クローバーフィールドという
タイトルから連想するものは
高原のさわやかな草原や
のどかな田園などで
あぁこれから
怪獣が出てくる
パニックムービーを観るんだという
期待の唾液など
一滴も出てこない

エンターティメントは
二段シフトにわかれる
興行の中身と
その興行が始まるまでの
前段階である

縁日の見せ物小屋の
呼び込みの期待と
中身という具合である

たとえ中身とのギャップがあっても
観客に期待させてあげることも
エンターティメントでは
立派なサービスで
大切な心遣いで
観客は騙されたいがために
時間とお金を使って
その空間にまで
わざわざやってくるのだから
心おくまで騙してあげればいいのである

だからこの映画は
一つのサービスを
放棄したとまでは言わないが
考え過ぎたのか
よくわからないタイトルだったし
実際映画の本編の内容とも
全くリンクしていない

まぁこれも
J・J・エイブラムスの
LOST方式なのかもしれないが・・・・

本編は
「ブレアビッチ・プロジェクト」と
ニューヨーク版「GODZILLA」の
融合のような感じだったが
驚いたのは
全編カムコーダ撮影だけだった
(手持ちのカメラ撮影)

そんなバカなと
思いながらも
エンドタイトルまで
パンも使わなければ
ドリー撮影も1カットもなし
全てカムコーダだで
引っ張った

画面はブレまくっていたが
全編カムコーダ撮影だけで
突っ切るんだという
初期のコンセプトは
一時もブレることはなかった

パラマウントの首脳陣から
色々な横やりも入ったろうに
しかしそれにめげることなく
絶対にブレることがなかった
J・Jの心意気は
さすがだと感心したし
強い意志は
男の子として
カッコよかった

続編の制作が決定しているらしいので
また観にいこう

想像の唾液をたらしながら

 

 

 

 

4・16 インディ・ジョーンズ/
     クリスタル・スカルの王国

薄暗い
映画館に
ジョン・ウィリアムスの
あのテーマ曲が
ゆっくりと流れはじめた・・・・

その瞬間
心はあの頃に
戻っていった

It back
彼が帰ってきた

もう
それだけで
なんにも
いらなかった

身体って
やっぱ
憶えているもんだなぁ

インディの予告編は
テレビやネットではなく
どかぁ〜んと劇場で体感したかった

ストーリーの
想像は観てからでいいが
今一番
楽しみなのは
インディの登場シーン

江戸のむかしっから
千両役者の登場シーンっていうのは
大見得を切って
さっそうと登場すると
決まっているんだぁ
これは西洋だって同じだろう

いよっ
待ってましたって

そこを
クールに決めるのが
ハリウッドスターだろう

そして前回シリーズの
撮影監督が引退したため
今回はスピルバーグ組の
ヤヌス・カミンスキーが撮影を担当している
一瞬ハイコントラストな
あのインディらしさが
なくなるのかもしれないと思ったが
今回は南米のジャングルが冒険の舞台だから
カミンスキーのあのダークな映像が
はまるかもしれないと思った

オープニングは
いつもの
パラマント社の山の形が
実景の山と重なり合うシーンから
入っていくお約束も
しっかりとあるだろう

まずは
先行が楽しみだ

 

 

 

 

青春のおぉしゃん

十代の頃
おれらは
いつだって
満天の星空の下
海に向かった

ぜんぜん
眠たくなんかなかった
その逆で
わくわく感だけで
魂が爆発寸前で
日焼けした身体が
張り裂けそうだった

でっかい
おぉしゃんには
ドリームや
スーパー元気や
出逢いや
勇気や
未来や
もう
ミックスもんじゃのように
なんでも
かんでも
ごちゃまぜにあった

街道沿いの
いつもの
コンビニで
喰いものなんかを
わんさか買い込んで
代わる代わる運転して
当時流行っていた
「どんなときも」を聴いて
ぶっ飛ばした

青春の
はやる気持ちは
街灯なんかない
夜中の山道だって
田んぼのあぜ道だって
楽しい未来へと通じる
どこでもドアだった

だんだんと
車の窓から
潮のいぃ〜
においが入ってきた

そんな時
おれらの
魂は爆発寸前になり
発狂寸前になり
おぉ〜
かえってきたぜぇベイビー
という気持ちになる

日の出前の駐車場に着いたら
みのるちゃんと
おれは
真っ先に
高台に上って
まだ薄暗い
大きな
大きな
おぉしゃんの
地平線だけを
真っ直ぐに
背筋を伸ばして
無言で眺めた

共に
でっかな
夢を
抱きながら・・・・

怪物のような
大波に
自分達の
夢を
重ね合わせながら・・・・

俺達は
くそガキから
男になりたかった

男に生まれたからには
いつか
でっかな
でっかな
おぉしゃんのような
男になってみせるんだと

地平線から
でっかい
太陽が
昇ってくるまで
無言で誓い合った

あれから
何十年
経ったのだろう

おれらは
大人になって
それぞれの
道を
歩きだしていた

おれは
あの頃の
甘ズッパイ青春が
いっぱい
いっぱいつまった
貝がらを
一つ
一つ
拾い集めるがごとく
毎年
毎年
あのおぉしゃんに
帰っていく

ぼろぼろに
傷だらけになった
「どんなときも」を
聴きながら

それでも
あの海岸には
昔と何一つ変わらず
みのるちゃんの
あの爽やかな
笑顔が
のこっている

キラキラと
キラキラと
眩しく
光っている

あの
おれらの
おぉしゃんのように・・・・

          義明

 

 

 

 

4・11 生きる力

最近ちまたで
目障りのように
やたらに目につくのが
カロリー0や
糖質0や
糖質オフなどの文字

それもみんな
これみよがしに
大きな文字で
でかでかと
うたっている

だからどうしたって感じ
栄養学からすれば
最低のものを
喰ったって
飲んだって
自分が最高の栄養に
変えてみせるんだという
気力があれば
すべての喰い物は
最高の栄養になるんだぁ

その逆もあって
どんなに最高の食材を
食べていても
人間の気力が落ちていたら
栄養なんか
吸収できやしない

カロリー0や
糖質0などは
一つの例で
一事が万事
そんな小さなもんを
ちまちま
気にしてっから
ストレスが溜まって
かからなくてもいい病気に
かかったりする

病気にかかったら
かかったで
医者は訴訟が怖く
己の保身から
詳しくインフォームド・コンセントをして
話さなくてもいい
悲観的な可能性までも
重箱の隅をつっつくように説明して
精神的に弱っている患者を
ますます追いつめて
人間が本来授かっている
生きる力を萎えさせている

しかも医者が使う言葉で
一番ムカついて
この地上や
この星から
永遠になくなれと思っている言葉は
余命という言葉で

命はどんな瞬間も
余るもんじゃねぇ
どんな瞬間も
太陽のように
赤々と
燃え続けているものなんだ

神様だって
余命という言葉を
使わないと思うのに
たかだか人間の分際で
その人の寿命が
わかってたまるか

前世とか
そんなあやふやなものは
わからないが
人間には原始時代から
脈々と受け継いでいる
現実的な遺伝子があるんだ

その遺伝子は
人類が何百億人か
何千億人いたのか
知らないが
たった一人が
どっかで欠けても
今の自分が成立しないほど
大切な情報で

その情報の中には
原始時代の人間達が
みな持っていた
ものすげぇ生き抜く力や
ものすげぇ太陽みたいな生きる力や
ものすげぇ精神の力や
想像もできないほどの
ものすげぇ能力や可能性が
ぎゅうぎゅうに
パンパンに
詰まっているんだぁ

せっかく
そんなお宝の
宝庫を持っているんだから
使わなきゃ損じゃねぇかぁ

私は現にそんな
精神で生きて
実践しているから
10年以上
病気をしたことがないし
風邪すら引いたことがない
ちょっとダルくても
ゆっくりと寝ちまえば治っちまう

自分の生きる力を
信じてあげなきゃ
そうすりゃ
生きる力の方も
頼ってもらっているって
元気になって
やる気になって
存在を認めてもらったと
うれしくなって
楽しくなって

君の背中を
ぐいぐい
ぐいぐいと
蒸気機関車のように
力強く
押してくれるんだぁ

 

 

 

 

4・9 崖の上のポニョ

南米の裏路地で
サッカーが
大好きな少年は
ボールが買えなくたって
自分で作ったボールで
毎日毎日
日が沈んでも
遊んでいる

そんなボールは
テレビの画面からでも
キラキラと
キラキラと
輝いてみえる

野球が大好きな
日本の少年は
軟式のボールの山が
なくなったって
いっつも
いっつも
暗くなるまで
遊んでいて

そのボールも
キラキラと
キラキラと
輝いてみえる

【崖の上のポニョ】にも
そんな輝きを
感じます

宮崎駿監督の心が
裸になって
裏路地で遊んでいて
無邪気に
素直に
ただ純真に

子供たちの喜ぶ心を
感じるためだけに
創っているんだなぁという
キラキラ感が
とっても
とっても
伝わってきます

子供たちが
喜ぶ心こそが
宮崎駿監督が
喜ぶ心で
それが一番のワクワクで

そんなワクワク感が
こっちにも
楽しい
楽しいって
伝わってきて

創っていて
うれしい
うれしいって
伝わってきます

自分が
めしよりも
なによりも
好きなことって
相手にも通じますからね

宮崎駿監督の
そんなワクワク感が
こっちにも
みんなにも
伝わってくるような
そんな
崖の上のポニョのような
気がします