せつない季節

哀しそうに
聴こえていた
ひぐらしも
いつの間にか
聴こえなくなり

夕立に濡れて
泣いてるように見えた
野焼きの煙も
気が付けば
見えなくなり

それに代わって
どこからか
秋祭りの
祭ばやしが
聴こえてきた

これが
最後の
海かなぁと
思っていたから
日が落ちて
いつもなら
上がっている時間でも
いつまでも
海の中にいて
海の心と
一つになって
海と会話していた

ガキの頃から
お世話になって
畏敬の念を抱いている
大いなる海の神様に
おかげさまで
今年も無事に
怪我もなく
生きて
終えることが
できましたと
頭を下げた

帰り際に見る
海や
田んぼの
においや
風景の
せつない感覚の
一瞬
一瞬の
思い出が
愛おしくなって
忘れたくなくて
消え去って
もらいたくなくないと
感じながら

僕は
輝いてた
季節と
さよならした・・・・・

          義明

 


 

 

 

 

少年の夢

少年は夕日が落ちても
でこぼこだらけの広場で
かけっこをつづけていた

少年は指先が
ふやけてきても
泳ぎつづけていた

少年は暗くなって
お母さんが
「ご飯よ。」と
呼びにきても
独りで壁に
ボールを投げつづけていた

多くの
少年たちが
夢を追いながら
大人になって
大きくなって
いくつかの
挫折を経験して
そんな夢もあったねと
時の川に流してしまう

そんな少年が多い中
今回のオリンピックで
いつまでも
少年の夢の延長線を
つづけている
昔の少年たちがいた

かけっこが
大好きだった少年は
まるで記録などには
こだわっていないような走りで
試合後のインタビューでも

「ウイングランを終えるまで
 記録に気づかなかった。
 記録なんかどうでもよかった。」
 と語っている

ウサイン・ボルト選手は記録以上の
記憶を世界中の人々に与えてくれた

泳ぐことが
大好きだった少年は
普段は冴えない
クラーク・ケントのようだが
USAの文字が入った
スイミングキャップをかぶると
目がひっぱられ
目がキリリとつり上がり
スーパーマンのような
鋭くも優しい瞳に変身する

マイケル・フェルプス選手は
8個の金メダルを獲ったが
その金メダルは
すべてお母さんに
捧げるよとでも言うように
メダルの授与式の時にもらった花束を
客席にいるお母さんに
毎回投げていた

昔の少年たちは
好きだから走っている
好きだから泳いでいる
そんな純粋な想いは
観ている人の心にも
確実に伝わってくる

だから
こっちも
純粋な心になれる

そして
暗くなっても
独りで壁にボールを
投げつづけていた少年も
いつしか
大人になっていた

新日本石油の
田澤純一投手は
世界一のステージで
投げてみたいと思う
純粋な夢のためだけに
大きな海を渡る
大きな
大きな
夢のために

さぁ
次は
昔のままの
少年でいる

君の夢の番です・・・・



 

 


秋の夢

少し涼しくなった
秋の星空の下
音楽を聴きながら
ふと
想ったことがある・・・・・

宮崎駿監督が
「ニュー・シネマ・パラダイス」や
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や
「マレーナ」の
大作曲家の
エンニオ・モリコーネと
組んでくれたらと・・・・・

どれだけ
心に染み入る
映画が
生まれるだろう

CGの味気ない
映像ばかりが
溢れている
この世界に

手描きで
一枚
一枚
心をこめた
宮崎駿監督の
まぁるい映像と
エンニオ・モリコーネの音楽が
なかよく
手と
手を
取り合ったなら

どれだけの
奇蹟が
生まれるだろう

どれだけの
美しい映画が
生まれるだろう

どれだけの
人々の心に
染み入るだろう・・・・・

そんなことを
考えるだけでも
わくわくしてくる
秋の夜長である





海のなか

あんなにも
暑かった
今年の夏も
なにごとも
なかったかのように
過ぎ去っていった・・・・

それでも
海では
誰もが
解放された
魂だった・・・・・

なぜ人は
海で遊ぶと
あんなにも
魂が解放されて
自由になって
活き活きして
楽しそうになるのだろうか

たぶんそれが
人間が本来授かって
生まれてきた魂で
無垢になって
裸になって
まん丸くなっている魂が
海の大きな
大きな
生命体と
むじゃきに
わくわく遊んでいるから
みんなあんなにも
楽しそうな童心に
帰っていくのだろう

それでは
輝く時は
一瞬なのか

それは
錯覚で
いま
生きてるし
自由に動けるし
それだけで
輝いている

あなたは
いま
輝いている

生きてるだけで
あなたは
キラキラと
キラキラと
輝いている

だから
あなたは
いつだって
輝いているんだぁ

どこでだって
海の中にいるように
解放されているんだぁ





8・23 ハンコック

いい意味で
思ってもみなかった
展開になった映画でした

トレーラーを観たら
何にも考えないで
気軽に観れる
ただの飲んだくれの
ヒーロームービーかなぁと
思って行ったら
以外や
以外
スーパーヒーローの
葛藤を描いていました

スーパーヒーローの葛藤で
強く印象に残っている
セリフがあります

それは
リチャード・ドナー監督の名作
【スーパーマン】です

高校時代の若き
クラーク・ケントが
アメフトの雑用係りをやりながら
日々葛藤し
地球の父に悩みを打ち明けます

クラーク「僕は、毎回毎回
     タッチダウンできるのに
     なぜ、この力を見せつけてはいけないの?」
父「俺にもその答えは分からない。
  ただ、お前は
  タッチダウンをするためだけに
  この星に来たんじゃない。」

空を飛べなくても
もの凄いパワーがなくても
きっと誰もが
誰かのスーパーマンだと思います

父は息子のスーパーマンであり
子は親のスーパーマンであり

そして
誰もが
タッチダウンをするためじゃない

何かのために
この星に
生まれて来たんだと
思います

 






海の詩

海って
いいなぁ

気持ち
いいなぁ






何千年前の夕陽

海で
木の葉のようにいる時で
一番好きな時は
ごぼれ落ちる
だいだい色の夕陽を見ながら
波と一つになって
スーと
乗っている時です

左に夕陽を見ながら
人はみな
影になり
海面だけが
キラキラと
キラキラと
光り輝き
その中を
水しぶきを立てながら
海の神様の心と
まん丸くなった
人の心が
一つになっていく・・・・

あぁ〜
なんと
美しくも
心安らぐ
光景でしょうか・・・・

そんな
夢のような
時の中で
いつも
想うことがあります

それは
こんな光景を
人類で始めて
波乗りをした
ポリネシアの子供たちも
きっと
体験したんじゃないかなぁと
思うことです

人類で誰が
一番初めに波乗りをしたかは
誰にもわかりません
ハワイの祖先かもしれないし
インドネシアの島の祖先かもしれないし
同時期かもしれません

でも
なぜか
想うのは
きっと
ポリネシアの祖先の人々が
人類で一番初めに
波に乗ったんじゃないかと
思うことです

その根拠は
ポリネシアの祖先の人々は
太平洋の黒潮の流れを完璧に読み
星の位置や
月の位置から
遙か遠くの大陸や
島々まで航海していたと
伝えられていますし
その証拠もあります

そんな
潮の流れを知り尽くしている
海洋民族ですから
きっと
波に乗ったのも
人類で一番初めじゃなかったのかなと
空想します

たぶん
子供たちが
板っきれなんかを
拾ってきて
遊んだんでしょうね

そんな時も
きっと
見たことでしょう

だいだい色の夕陽と
キラキラ輝く海を・・・・・

そんな想いを
はせながら
同じ太平洋の
波と一つになっていると
遙か彼方
何千年前の出来事と
意識がつながったような
そんな
不思議な
気持ちになります

ザブーン
ザブーン

儚く消える
波だけが
知っているのかなぁ・・・・・






8・2 ダーク・ナイト

エンターティメントの構造は
人間の感覚から
生まれてきたものだから
おもしろそうなら
観に行く
つまらなそうなら
見向きもされない
ただそれだけの
シンプルな構造である
これは残酷ともいえるが
これこそが
人間の感覚である

そんな構造から
生まれた産業だから
結果もまたシンプルである
おもしろかったか
つまらなかったが
そのどっちかだけの
厳しい産業である

ただこの映画を観終わった後は
その感覚には収まりきらなかった

打ちひしがれたような
魂を吸い取られたような
そんな感覚だけが残った・・・・

なんなんだろう
この感覚は・・・・・

映画館を出たのは
真夜中だったので
ダークナイトに出てきた
暗闇の街で考えた
この感覚の泉の元を探すために・・・・・

ヒースが死んだと知ったのは
この映画を観る
はるか前のことだった
だからそのことを知っていて
ヒースを観ているから
そこから派生した感覚なのか
はじめはそう想った

ただもっと掘り下げて考えてみると
これは違うと想った
ヒースの死ということよりも
ヒースの演技自体が
凄かった
ジョーカーという役柄にあった
狂気と妖艶の光を放っていた

話しは少しズレるが大事なことなので
フィンセント・ヴァン・ゴッホの件で説明したい
生前に絵が一枚も売れなかったことや
自らの耳を切った情報があるから
物事の本質を捉えることができない馬鹿な人間は
そんなフィルターでしか
物事を捉えられないから
絵そのものが放っている
純真で太陽の爆発のような
巨大なエレルギーを見落としてしまう

しかしこれは絵だけでは終わらず
長い人生の中では
心の成長を止めてしまう致命傷になる

日頃から自我を引いた
客観的な視野から考える思考を
意図的に訓練したり経験させておかないと
表面だけの薄っぺらい情報だけで
物事を捉える人間に成り下がってしまう

この問題の最も怖い点は
自分でも気づかない内に
心の中に徐々に浸透してくるから
自覚症状が全くない
そして気が付けば
何事も表面上だけしか捉えることのできない
薄っぺらい人間のまま
棺桶に足を突っ込んでいく

話しをヒースに戻すがこの映画は
ヒースの死ということではなく
人間の魂がフィルムに念写されつづけている
映画だった

時に
人の想いは
天をも
突き刺すと思う

ヒースのそんな想いが
途切れることなく
フィルムに焼き付いていた映画だった

芸術家にとって
寿命が長いとか
短いとか
そんな小市民的な価値基準は
全く意味をなさないどころか

彼らが自らの命を賭け
自らの魂を念写した作品と行為を
侮辱し愚弄するだけで
いくら他人の
寿命が長いとか
短いとかと言っても
そう思った人間がが正当化されることはない

だから
芸術家にとって
寿命など関係ない

彼らは
自らの残したものだけで
各自が判断してくれという
厳しい世界で生きることを
人生に選んだ勇者たちなのである

だからフィンセントのように
生前に評価されないなど
時代的なズレはあるが
彼は微塵も
悲しがってなどいないだろう

それどころかその逆で
わっはっはっは
わっはっはっは
わっはっはっはと
腹をかかえながら大笑いし

「俺は
人生を生ききったんだぁ
やりきったんだぁ」

という充実感や満足感で
満ち満ちているだろう

ヒースも同じで
微塵も悔やんだり
後悔などしていないだろう

彼の作品は
永遠に残るのだから・・・・・

その日のナイトは
【暗闇の騎士】のナイトでなく
正に
ヒース・レジャーのための
ナイト【夜】だった